自分が住むまちを、大好きになろう
−渡辺頼子さん vol.3−
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2011年3月11日、午後2時46分。
あの瞬間、
人々はひっきりなしにニュースを通して流れてくる、
この世のものとは思えない光景に目を疑い、
これまで経験したことのない、大きな恐怖と不安に包まれて、
まるで世界に大きな黒いフィルターがかかったように思えた。
世界は、
これからの未来はどんなふうになっていくのか、
思い描いていたもの全てが崩れ去り、全く先が見えなくなった気がした。
東日本大震災。
あの日を境に、世界は大きく変わった。
あの日、彼女は4人の子どもたちを抱えて、西浦の高台にいた。
正確な状況はなかなか把握はできなかったが、
まだ1才になったばかりの子と、保育園と小学校に通う子どもたちを連れて、
早めに避難しておくのが賢明な選択だと思ったからだ。
この子達を守らなくては。
親として、決死の選択だった。
数日後、子どもたちが通う保育園では、
毎朝、先生が子供達を連れて高台に登る訓練として「おはよう朝さんぽ」が始まる。
津波によって、多くの子どもたちの命が奪われたあの日から
海沿いに位置する西浦の保育園では、
職員や自治会役員による、多くの話し合いが重ねられた。
数年後、
ようやく地域の人たちが日常の落ち着きを少しずつ取り戻していった頃、
テレビで「西浦保育園の高台移転」に関するニュースが流れてくる。
そこで当時の連合自治会長がインタビューの中で話した一言が、彼女の中に突き刺さる。
「こどもは、”地域のたから”です」
この言葉を聞いた時、「わぁ、ありがたいなぁ」と思いました。
これまで、”子どもは親が守るもの”と思っていたけれど、
こうして地域の人たちがみんなで考えてくれるんだと感じて。
保護者が要求したわけでもないのに、
地域の人たちが真剣に子どもたちを守る策を考えてくれていること。
それが、本当に嬉しくて、今でもあの画面を思い出せるほどです。
”全国でも、異例の早さ”とニュースでも言われるほど、西浦の保育園の高台移転は早かった。
それから、数年後。
子どもたちが通った旧西浦小学校があるグラウンドで「ヌマヅノミナミ 西浦ローカルマーケット」が開催された。
小学校は小中一貫校として統合されたため、閉校となっていたが、「どうしてもこの思い出の場所でやりたい」と、何度も交渉して実現した。ここはこの土地で暮らす人たちにとって思い出深い場所でもあり、また、あの時移転をした保育園がある場所でもある。
このマーケットの発案者は彼女。
「”ローカル”という響きに、とても惹かれるものがあったんです」
おまちでは、いつも楽しいイベントが開催されているけれど、この地域では全然そういうのがないから。子どもたちに、楽しい経験をこの場所でさせてあげたい。
あとは、子供だけではなくて、大人にとってもこの土地の魅力をちゃんとみんなで再発見して、大好きになってほしい、そんな想いがありました。
この言葉通り、この日、子どもだけでなく、多くの年齢層の人たちが地域の内外から訪れて、この土地の魅力と可能性を大きく感じる1日となりました。
最初はね、特に地域の人たちの前で「やります」っていうのが正直とても怖い気持ちがありました。どんな反応が返ってくるんだろう、怒られるんじゃないかって 笑。
でも、予想外に、会場の草刈りや、坂道の誘導、駐車場係など、地域の人たちが協力してくれて。正直びっくりするくらい。本当に、嬉しかった。
彼女は、この他にも、地域に住む子どもたちが、自分たちの住むまちの魅力を取材して発信する「COLOMAGAプロジェクト」の運営メンバーとして、積極的に子どもたちと地域の魅力の発信にも力を入れている。
「これは、まさに自分自身が感じた”おまちコンプレックス”を、子どもたちに感じてほしくなかったから。もっと自分たちが住むまちを大好きになって欲しいと思って始めました」と、彼女は照れくさそうに笑う。
この他にも、「地域のみんなでつながりを感じて、愛着と安心感を感じてほしい」という主旨のもとで、「コロマガ応援Tシャツ」と作ったり。
彼女が若女将をつとめる”駿陽荘やま弥”では、鰺やソウダガツオの身をたたいて炒って作った練り味噌である”鯛みそ”や、西浦みかんを使った「みかんごはん」が”沼津ブランド”として認められ、沼津を訪れる多くの人たちの人気を集めている。
この「みかんごはん」もまた、彼女が試行錯誤のなかで作った、ユニークな商品。
とにかく、驚くほどの発想力と行動力を持つ彼女。
ーなぜ、こんなにも”地域のために”活動をしようと思ったのですか?
それはね、実は最近気がついたのだけれど、あの東日本大震災の後に聞いた「子どもたちは地域のたからです」という言葉がとても嬉しかったからなのかもしれない。その時には、そんなふうには思わなかったのだけれど。本当に、これは最近気がついたことなの。
一人で子育てに必死になっていた時に、「地域の人たちが一緒に考えてくれている」ことが心から嬉しかった。ずっとおまちコンプレックスのようなものを感じていたけれど、このまちが本当に好きだなと思えたこと、そしてそれを子どもたちにも伝えなければと思ったということなのかもしれません。
自分たちが住んでいるこのまちを、みんなが大好きになってほしい。
そして、みんなで明るい未来を描きたい。
自分が生まれ育ったまちで、さまざまな疑問や問題に向き合いながらも、自分のなかにあるそんな想いを信じて「一歩」踏み出す勇気を持つ彼女。その行動は確実にいろんな人たちの心を動かし、この地域に明るい風をもたらしている。
そんな彼女がいるこの素晴らしい土地で。
ヌマヅノミナミがとても魅力的な理由を、また一つ発見することができました。
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