この世界を最初に創った神様の思いを
思い出そう。

− 長倉建治 さん −
vol.2


長倉さんが、今、夢中になっているもの。
それは、”戸田タチバナ”を広げる活動と”戸田の歴史”を調べること。

tachibana

タチバナ。
あまり知られていないようで、実は、日本人ならみんなどこかで見たことがあるこの果実。


おひなさま。

実は、このお雛様が飾られているひな壇の右側の花は、「左近の桜、右近の橘(タチバナ)」と言われるように、このタチバナなんです。これは、京都御所の紫宸殿正面の階段からみて左側にあるのが桜、そして右側にあるのがタチバナということが起源で、なんと平安京の時代から紫宸殿には代々タチバナが植えられています。


togod

なぜ、タチバナなのか。

その理由を知るには、古くは奈良時代、日本書紀に「非時香菓(トキジクノカクノコノミ)」として、この果実が記されていた時間までさかのぼります。


タチバナは常緑で果実をつける期間がとても長い柑橘類。その香りも長続きすることから、昔から”永遠”を象徴するものとされ、「これを食べると不老不死を手にいれることができる」と言われてきました。

ある時、時の天皇である垂仁天皇が、田道間守(たじまもり)に「常世の国より、非時香果(ときじくかぐのみ)を探してきなさい」と命じます。田道間守は常世の国に行き、10年の歳月をかけてとうとうその実を持ち帰ります。それがタチバナの実でした。

しかし、時すでに遅し、田道間守が天皇のもとに戻った時には垂仁天皇は崩御されていました。それを嘆いた田道間守は、御陵に非時香菓(ときじくかぐのみ=タチバナ)を捧げたまま、息を引き取ったといわれています。

タチバナは、田道間守が命懸けで常世の国より持ち帰った永遠の果実だったのです。


ところで、垂仁天皇はなぜ田道間守に、常世の国にタチバナの実を取りにいくように命じたのでしょうか。

実は、その理由はその香りにありました。

田道間守がタチバナを探しに行った常世の国。そこは、神々がこの地球上にはじめてつくった理想郷のような場所。そこに自生しているタチバナの実の香りをかぐことで、神様がこの世界を創造した”原点となる想い”を常に忘れずに国を治めていきたいという、垂仁天皇の”原点回帰への願い”がそこにはありました。

つまりタチバナは、「原点にもどること」や、「ものごとのスタート」の象徴として、古来より日本では珍重されてきたのです。


写真:宮内庁提供

タチバナはまた、今も昔も天皇家との深い繋がりがあります。

皇后雅子様がご成婚の際に着た十二単の色目も”花橘”と呼ばれるもので、その色調もタチバナを思わせるものでした。

”皇室”とは、日本人が大切にしてきた”権力とは無縁の存在”。その皇室と原点回帰の象徴としてのタチバナとの繋がりが強いというのも、その根底に流れるわたしたちの国、日本という国のおだやかな感覚の表れではないでしょうか。


そんなタチバナに魅せられてしまった長倉さん。
その想いは、どんなところにあるのでしょうか。

vol.3に続きます。


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andre