おまちコンプレックス
−渡辺頼子さん vol.1−



”おまち”

かつて沼津の人たちは、駅周辺の賑やかなエリアのことを、親しみを込めてこう呼んでいました。


それとは対照的に、自然あふれる海沿いの地域がヌマヅノミナミ。


この地域で生まれ育ち、現在は海鮮食堂と民宿「駿陽荘 やま弥」の若女将をつとめる渡辺頼子さん。

実は彼女、この”おまち”というものにずっとコンプレックスを抱いていたそうです。


−おまちコンプレックス?

そう、なんかね。おまちのほうで花火があがったりイベントがあったりしても、”よその話”という感覚がずっとありました。距離的に離れているし、今でも行けないから、実際そうなんだけれど。

「わたしたちには関係ないことだなー」と、ちょっとスネてる感じ (笑)。

実際、この地域の人たちが市街地にいくときは「沼津にいく」って言うんです。自分たちの地域を沼津だと思ってない(笑)。


でも、実は小学生くらいまでは、まったくそんなことは感じてはいなかったんです。

特に強く感じ始めたのは、高校生のとき。そのわかりやすいエピソードとして、思春期に、「どこ中?」って聞かれることに違和感を感じていた時期がありました。


−「どこ中?」ですか?

そう、沼津の人ってね、初めて会うと必ず「どこ中?(どこの中学出身?)」って聞く習慣があります。これが、「なんとなく引っかかる」みたいな時期があったんです。

特に思春期の頃には、なんだかとても違和感がありました。なんだろう、うまく言えないのですが、なんとなく自分が住んでいる地域に関して「引け目」を感じていたのかもしれません。

ちなみに、今は「面白い習慣だなあ」と思っていて、むしろちょっと好きなんですけどね。

あ、余談ですが、このあいだぬまつーさん(※ぬまつー仮=沼津のローカルメディア)の記事で「沼津のどこ中?」っていうのが紹介されていて。今では「この記事めっちゃ面白い!」って思えるくらいなんです(笑)。




でも、当時は出身中学を言うのはいやではないのだけれど、その反応がいつも決まってバカにされているような気がしてしまって。「そんなところ、知らなーい」とか言われたりすることもあって(笑)。

今思えば、自信を持って「いいところだよー」って言えばよかったのですが。あの頃は、そんなふうには言えませんでした。きっと、少し卑屈になっていたのかもしれません。


この地域の子供たちって、同級生がとても少ないなかで育っているから、全然揉まれてない。みんな知っている人たちのなかで、兄弟みたいな同級生と一緒に、ずっと育ってきているから。

だから、高校生になって、突然ほかの地域の子達と会うと、もうタジタジになっちゃうんです(笑)。

今考えてみれば、言っているほうも単なる”ネタ”として言ってただけなんだろうなということが分かるのですが。高校生の私には、そういうふうには考えられなかったんです。


そんな繊細だった高校生のよりこさんですが、高校を卒業後、東京の短大に進学します。


−東京での生活はどうでしたか?

板橋に住んで、池袋のパルコでバイトしたりして。そこそこエンジョイしてました(笑)。「こんなに便利な場所があるんだなぁ」と思いました。スーパーとかコンビニとかすぐ行けるし。

でも、正直なところちょっと疲れるなあという感覚がありました。


−東京にずっといようとは思わなかったですか?

思わなかったですね。というよりも、行く時から卒業後は西浦に戻って店を継ぐつもりでしたから。


”おまちコンプレックス”を抱えながらも東京に出て、それから家業を継ぐために再度、故郷に戻ってきたよりこさん。

vol.2に続きます。

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andre