笑顔の循環
– 北川和樹さん vol.3 –

(vol.1はこちらから)
(vol.2はこちらから)

北川さんのアーティストネームはSmily(スマイリー)。

制作しているディジュリドゥも、同じ名前のブランドとして展開をしています。


−なぜ、smily(スマイリー)?

小学生の頃に、いじめにあって笑顔がつくれない時期がありました。そして、中学生の時にやっていたスケボーで出会った先輩に「お前、無表情で全然笑わないから、今日からスマイリーね」と言われたんです。

それからこの名前に引っ張られて、なんとなくいつも”笑顔”を意識しているところがあります。そういう意味で、これまで、この名前にだいぶ助けられているなと思います。


TEDへの出演、ヒューマンビートボックスとの融合、そしてディジュリドゥ制作。

さまざまな奇跡が重なって、ぐんぐんと彼の知名度があがっていったころ、ひょんなことから彼は住む場所を変えることになります。


行き先は沼津市戸田。人口約2500人の小さな漁師町。

このまちで、地域おこし協力隊として活動することになった北川さん。


–地域おこし協力隊はどのような経緯で?

ある時、ケースに入ったディジュリドゥを背中に背負って戸田のまちを歩いていたら、道の駅がありました。そこで偶然出会った駅長に”バズーカ背負ってるの?”と声をかけられて、”そうですよ”とノリだけで演奏してみたら、めちゃめちゃ気に入られたんです。

気づいたら、地域おこし協力隊にスカウトされていました 笑。


地域おこし協力隊の情報発信担当として、動画制作などに取り組んでいたある日、運命的にこのタカアシガニに出会う。

”コレ、吹けそうだな”と、ひと目みたときに思いました。食堂の店主さんにお願いしてみたら、あっさり”いいよ、あげよう”と言われて、その日のうちにコレが届きました。

そして、想像していたとおり、第一号タカアシガニリドゥはすんなりと完成!


しかし、ここはやはりこだわりの北川さん。

さらなるクオリティを追求して、第二号は音質を狙い、本格的に時間をかけて制作。見た目だけではなく、楽器としてもかなりレベルが高いものが完成。

そして、それらを公開するやいなや、瞬く間にメディアにも注目されるようになりました。


(BSフジ プレスクより)

−タカアシガニリドゥの反響はかなり大きかったのですか?

戸田のまちを歩いていると、ニコニコしたおばちゃんたちに「テレビみたよー、戸田が盛り上がっていいねー」とよく言われました。それがね、想像していた以上にすごく嬉しかったんです。あ、みんなが喜んでくれてるって。

今まで、自分の演奏にしか興味がなかったのに、まさに”人の笑顔を見るのが嬉しい”なんて思えるようになっている意外な自分を発見してびっくりしました。


タカアシガニリドゥが、どんどん有名になっていくにつれ、北川さんの知名度はあがり、ひっきりなしにテレビ出演の依頼がきた。

「すごく嬉しかったのですが、いっぽうで、”カニの人”としか認識されていないことに違和感を覚えるようにもなっていました。番組のプロデューサーさんに”ディジュリドゥのことも取り上げてください”とお願いをしても、実際の放映ではカットされていたり。僕のキャラクターもどんどん作られていって、まるで芸人さんのようだった 笑。でも、一時は”そっちの方向にいこうかな”と思ったくらい、面白かった部分もあったのですが」

ディジュリドゥ仲間にも「カニの人になっちゃったんだね」と言われたり。実は、けっこう悩んでましたね。

そんな時、世界に突如 、新型コロナウイルスが現れる。そして、一気に取材も演奏のオファーもなくなった。ある意味で半ば強制的に、再びディジュリドゥに集中する環境が訪れる。


「正直、やばいなと思いましたね。演奏もできない状況では、食べていけなくなってしまうと思いました」

そこで始めたのが、”オンラインで教える”ということ。その頃、急速に普及したzoomを使って、場所を選ばないレッスンを始める。

同時に、それまで運営していたyoutube チャンネルで、ディジュリドゥ上達講座を本格的に配信をはじめた。

「僕自身がほとんど独学で好きなようにディジュリドゥの演奏方法を身につけたこともあり、”生徒さんそれぞれの良さ、やりたい方向性を尊重して伸ばすこと”を一番大事にしてレッスンをしています」

もうひとつ、最近彼はさらなるプロジェクトを始動した。それは”ゴミで楽器をつくる”ということ。

「タカアシガニリドゥを作ったときに、戸田の皆さんが笑顔になってくれたことが本当に嬉しかったんです。だから今度は、世界中の人たちが困っている”ゴミ”をなんとかポジティブに変換して、より多くの人を笑顔にできないだろうかと思ってはじめました。これがなかなかうまくいかないんですけどね、でもあきらめませんよ 笑。」


TEDに出演した当時の北川さんの原動力は、その時に抱えきれなくなっていた”怒りや悲しみ”のようなネガティブなエネルギーだったと北川さんは言います。だからこそ、それはものすごいうねりとなって人の心を動かし、彼はディジュリドゥ界でも有数のプレイヤーとなりました。

でも、今はここヌマヅノミナミでいろんな人たちに出会い、さまざまな葛藤を抱えながらも、”SMILY(スマイリー)”という名前の通り、人を笑顔にすることがなにより嬉しくて、活動をしている北川さん。

来る、7月2日、沼津市戸田にあるTagore Harbour Hostelの3周年記念イベントで2年ぶりに演奏予定。「もうね、あの時みたいな尖った感じはあまりなくて、だいぶ丸くなっちゃってどうしようかと思ってるんです 笑。」

たしかにあの時の演奏とは全く違うものになっているかもしれない。でも、これまでたくさんの人たちとの奇跡的な出会いのなかで見つけた数々の大切なパーツが、間違いなく今の北川さんを作っている。

だからきっと、今回はこれまでとは違う、まったく新しい音が聴けるはず。もちろんタカアシガニリドゥも一緒に。


フォローいただけると大変励みになります。
ありがとうございます!

andre